道場訓は「空手の修行は自分自身の心と体を磨き上げる事こそが最終目的である」とする、故大山倍達総裁の武道観、空手観をまとめたものであり、著名な小説『宮本武蔵』の作者としても名高い吉川英治先生が監修されたものです。現在、世界120ヶ国の道場で唱和されています。

一.吾々は心身を練磨し確固不抜の心技を極めること

私達が空手を修行する目的は、自分自身の体と心を鍛えることにあり、真剣に稽古に打ち込むことで、どんなことにも動じない心と強い意志を習得してゆかなければならない。

一.吾々は武の神髄を極め機に発し感に敏なること

私達は、武道として空手の道を徹底的に追求していくことで、どんな状況でも臨機応変に対応する力と相手の心を理解する思いやりや優しさ、どんなことにも素直に感動できる心を身につけなければならない。

一.吾々は質実剛健を以って克己(じこ)の精神を涵養すること

私達は、自分を飾ることなく、真面目で素直に空手の修行に打ち込むことによって、自分自身に打ち勝つ強い心を養ってゆくことを心がけなければならない。

一.吾々は礼節を重んじ長上を敬し粗暴の振舞いを慎むこと

私達は、礼儀を身につけ、目上の人を敬い、人前で空手の力を誇示するような行動をとってはならない。

一.吾々は神仏を尊び謙譲の美徳を忘れざること

私達は、人間の力が及ばない自然や宇宙の摂理を重んじ、神や仏を敬い、相手のことを大切にし、自分を謙遜する態度を忘れてはならない。

一.吾々は知性と体力とを向上させ事に臨んで過たざること

私達は、空手の修行によって、ただ肉体を鍛えさえすればよいというものではなく、知性と体力をともに向上させ、どんな状況でも焦らず、冷静に対処できるようにならなければならない。

一.吾々は生涯の修行を空手の道に通じ極真の道を全うすること

武道としての空手の修行は一生かけて追い求めるものであり、一生を通じて極意に一歩でも近づこうとする姿勢、それが極真空手の本義である。

(注)本来は「克己=こっき」と読みますが、より多くの人にわかりやすい「自己(じこ)」という読みを当てています。
※ 克己:  自分に打ち勝つこと。心の中に起こる衝動・欲望を意志の力によっておさえつけること。